災害とテクノロジーの15年と、城塞のこと

東日本大震災から15年が経つ。福島にはまだ帰れない人がいる。
防災テックってなんなんだろう、とずっと思っている。
テクノロジーを用いて災害による被害を抑えようとする、すべての取り組みに意味がある。その前提はこの記事を通じて変わらない。
私は、個人やチームの仕事として、災害に関係するテックプロダクトに、細々と関わってきた。契約上、具体的な内容は書けない。ただ、この文章はその場所から見えたものを引きずりながら書いている。
2024年1月1日、能登半島で地震が起きた。死者・行方不明者594人のうち災害関連死が364人に達した。6割以上が直接被害ではなく、避難生活の長期化・支援の遅延・環境悪化によって命を落とした。その8割以上が80歳以上の高齢者だった[1]。
発災当初、行政は避難所がどこにあるかを把握できなかった[2]。震災から2週間後も更新されていない避難所情報があった[3]。民間ドローンが飛び始めるまでに5日かかった。防災DX官民共創協議会は発災後に「現場で動かずして防災DXは果たせない」として急遽方針を転換し、1月5日に現場入りした[4]。
交通系ICカード・Suicaを活用した避難者情報把握(2万1,000枚配布)、6市町の全住民約12万人の被災者データベース構築、ドローンによる空撮とオルソ画像(空撮写真を地図座標系に変換した正射影像)生成。技術的な取り組みは確かに動いた[5]。それでも、届かなかった人たちがいた。
災害とテクノロジー、そして国との間で起きていることを、3つの層で見てみよう。
まず、語りの層。東日本大震災後、「SNSが命を救った」という語りが広まった。しかし総務省情報通信政策研究所の調査によれば、被災地(岩手・宮城・福島沿岸部)の発災直後の情報収集では、ラジオ・テレビ・防災無線の利用率が高く、SNS・ネット系は「信頼できなかった」との評価が「信頼できた」と同程度かそれ以上にのぼった[6]。停電した被災地では、ネットが届く前にラジオが動いていた。「テクノロジーが活躍した」という語りは、電力と通信が維持されていた場所の語りだった。それが2019年の防災基本計画改正で「AI、IoT、クラウド、SNSの防災施策への積極的な活用」として制度化され[7]、2022年に防災DX官民共創協議会が発足した。誰の経験が語りを作り、その語りが次の投資を正当化したか。私の問いはここにある。
次に、インフラの層。道路への公共投資は1990年代半ばに当初予算が抑制され始め、2000年代に減少傾向に転じた[8]。1990年代以降、日本の土木行政は費用便益比(B/C)を中心にインフラ投資を行ってきた。利用者が少ない過疎地の道路はB/C上「コスパが悪い」と判定される。神戸大学大学院工学研究科教授の小池淳司はそう指摘する[9]。石川県が震災後に認めたように、奥能登には4車線の幹線道路が整備されておらず、「脆弱な道路構造が大半を占めている」状態だった[10]。デジタル観測システムへの投資が道路を圧迫したわけではない。どちらも同じ論理の帰結だ。「見える成果」に予算が向かい、人の少ない場所が後回しになる。
そして、設計の層。能登では、指定避難所ではなく集落の個人宅や自主避難所に人が集まっていた。この「例外」はシステムの設計に存在しない。孤立集落の情報は、それを送信できる人がいなければシステムに届かない。被害の大きかった輪島市・珠洲市の65歳以上人口比率は49%に達している。三菱総合研究所は、2050年には全国市区町村の3分の1がこの値を超える可能性があると指摘している[11]。能登で起きたことは、将来においても十分に起こりうる。
なぜ繰り返されるのか
3つの層に共通する構造がある。システムを設計する人と、そのシステムが対象とする条件の中で生きる人が、構造的に分離されている。これは設計者の悪意や怠慢の問題ではない。専門知識・市場・国家権力が協働するとき、必然的に生まれる分離だ。
カナダの地理学者ケネス・ヒューイットは1983年、「The Idea of Calamity in a Technocratic Age(テクノクラシーの時代における災害)」でこの構造を「支配的なものの見方(dominant view)」と呼んだ[12]。支配的なものの見方は、災害を日常的な空間から切り離し、「予見されなかった偶発的なできごと」とみなす。結果として、対応の責任は「一般の人々の生活から遠い専門知識の城塞(citadels of expertise)」に委ねられる。地震工学、気象予報、リスクアセスメント、そして今日の防災情報システム。こうした系譜が対応の中心を占める。
ヒューイットによる批判の核心を以下に示そう。自然の極端な事象(hazard)は災害の「引き金」に過ぎない。被害の大きさを決めるのは脆弱性(vulnerability)だ。そして脆弱性は偶発的なものではない。高齢化率49%の地域、半島の地形、老朽化した木造家屋、孤立可能性のある集落。これらは数十年かけて形成された構造だ。城塞はハザードに応答するために設計される。脆弱性の形成プロセスを問うことは、城塞の仕事の外にある。
語りの層で起きたことはこれだ。「SNSが活躍した」という語りは嘘ではない。ただそれは、電力と通信が維持されていた場所の語りだった。脆弱性の高い場所の経験は語りにならなかった。停電し、基地局が倒れ、高齢者がラジオで情報を得ていた場所。語りにならなかった経験は制度に入らない。制度に入らなかった経験は次の設計の前提にならない。これが城塞の自己再生産の回路だ。
インフラの層でも同じことが起きている。B/Cという計算式は中立に見えるが、その計算式を設計したのは誰か。「利用者が少ない」という事実は、「そこに住む人が少ない」という事実と同じだ。人口が少ない地域を「コスパが悪い」と評価する計算式は、その地域の脆弱性をあらかじめ織り込んでいる。設計の外にいる人が、設計の前提を変えることはできない。
設計の層はもっと直接的だ。指定避難所以外に人が集まることを「例外」と呼ぶのは、設計者の視点からだ。当事者にとってそれは「例外」ではなく、集落の論理に従った自然な行動だ。システムが「例外」を処理できないとき、コストを払うのは設計者ではなく当事者だ。
人類学者シャノン・マターンは、都市インフラを「コンピュータ」として把握することへの批判を展開した自著『スマートシティはなぜ失敗するのか——都市の人類学』で指摘する[13]。維持管理の知識は不可視で、身体化されていて、日常的だと。新しいシステムを導入する予算はつく。しかしそれを動かし続ける人員への投資は見えにくく、評価されにくい。城塞は建てられる。しかし城塞の外で、見えない労働が城塞を支えている。
変化はどこで起きたか
能登のドローンがその構造をよく示している。能登半島地震では民間ドローンが飛び始めるまでに5日を要した[4]。しかし2024年9月の豪雨では、発災翌日に石川県から一般社団法人日本UAS産業振興協議会(JUIDA)やKDDIのドローン運航管理サービス「スマートドローン」に飛行要請が出され、同日から飛び始めた[14]。
地震から9カ月で何が変わったか。制度や計画ではない。石川県がJUIDAに直接要請する、という経路が定着していた。事業者側も発災と同時に準備を始め、即日現地に向かった。1月の地震で身体的に習得された動き方が、9月に再現された[4]。ランカスター大学の科学技術人類学者ルーシー・サッチマンは『プランと状況的行為——人間‐機械コミュニケーションの可能性』で、計画は行動の「青写真」ではなく行動のための「リソース」だと述べた[15]。人は計画を持って状況に入るが、状況が変われば計画は絶えず更新される。それは訓練でも制度整備でもなく、実際の災害を経ることで醸成された。
サッチマンの言葉を使えばこうなる。計画は状況のすべてを事前に予測しない。それは状況の中でしか学べない。問題は、その学習のコストを誰が払うかだ。
変化は起きている。しかしその変化は城塞の外側で起きているようにも見える。発災直後、市町職員は連携されていない複数のパソコンを立ち上げ、役場内からしかアクセスできないシステムにデータを入力し続けた[16]。石川県が市町・自衛隊・DMATなどが収集した避難所情報を一元集約するシステムを稼働させたのは1月14日のことだ[17]。変化は現場の学習として起きた。しかし設計の前提が変わったかは不明だ。
新しい城塞の前で
防災情報システム・サービス市場は2025年度に約2,153億円規模に達すると推計される[18]。新しいシステムが次々と導入される。しかし大規模災害が発生すると被災した地域の行政事務は膨大となり、被災自治体だけでは対応が困難になる[19]。能登の現実は、平時から人手が足りていない自治体が最も大きな被害を受けることを示した。新しいシステムへの投資は集まりやすく、それを動かし続ける人員への投資は集まりにくい。
防災庁設置法案が閣議決定された2026年3月、政府の重点計画はこう記している。「被害状況の迅速な把握、的確な意思決定、その共有と行動といった一連の行動様式の確立が求められる」[20]。「把握」が最初に来る。DXの起点は、人々の生活の変容ではなく、「国家の認識能力の向上」として描かれている。
「デジタルトランスフォーメーション(DX)」という概念の提唱者らによれば、DXとは「デジタル技術の浸透が人々の生活をあらゆる面でよりよい方向に変化させること」だった[21]。人々の生活(lifeworld)の変容を起点に置く概念が、国家の認識能力の向上としてリフレームされている。この変換は、城塞の自己再生産と同じ回路の上で起きている。
DXは、たとえば、スマートフォンを使えないような人々のためにこそあるべきものだ、と私は思う。デジタル技術が人々の生活をよりよい方向に変化させるというならば、その恩恵が最も必要なのは、技術から取り残されやすい人たちのはずだ。しかし実際には、DXの設計はその構造上、デジタルを使える人を前提としがちで、使えない人への対応は事後的・応急的になりやすい。
防災科学技術研究所社会防災研究領域長の臼田裕一郎が能登後に「DXの『浸透』と『定着』を強化しなければならないと痛感した」と述べたとき[22]、その言葉が指しているのはシステムの問題だ。しかし「浸透」も「定着」も、城塞の側からの言葉だ。誰に浸透するのか。誰の生活に定着するのか。
「ナラティブを作る」という言葉が、デザインやサービス開発の現場で使われるようになって久しい。
ナラティブ(narrative)はもともと文芸理論の概念だ。1960年代のフランス構造主義の中で、「何が語られるか」より「どのように語られるか」を問う用語として定着した。
ロラン・バルトは、ナラティブは文学だけでなく神話・広告・日常のあらゆる場所に潜んでいると示した。ジェラール・ジュネットは語りを物語内容・物語言説・語る行為の三層に分析し、「どのように語られるか」を精緻化した。1970年代以降、この概念は文化研究の文脈で権力論と結びつく。特定のナラティブを通じて世界を認識することで、社会的な権力構造と主体の位置が構成される——つまりナラティブとは、「誰が語るか」「何が語られないか」という批判的問いを内包した概念だった。
デザインやマーケティングの言語に「ナラティブ」が取り込まれるとき、この批判的次元は剥ぎ取られがちだ。「共感を生む物語の設計」という技法として再包装される。採用された瞬間に、問いが消える。
東日本大震災後、「SNSが命を救った」という語りが広まった。事実ではある。しかしこのナラティブが完結した語りとして流通し、防災計画の前提に組み込まれていったとき、その外側にいた、デジタルに届かなかった人たちは設計から漏れた。完結しているから、見えなくなる。
「ナラティブを作る」という行為は、この回路を意図的に再生産することになりうる。設計者が語りを操作可能な対象として扱う傲慢さ。DXという語がストルターマンの原義から切り離されて「業務効率化」として流通するのと、構造は同じだ。
問いを変える
J-ALERTは機能した。SIP4Dが集約した情報は災害対応の基盤になった。ドローンは孤立地域に医薬品を届けた。2024年9月の能登豪雨での対応改善は、学習が起きていることを示している。これらは否定できない事実だ。
問題は、何を「うまくいった」と見なすかだ。
テクノクラシーが「うまくいった」というとき、それはシステムが設計通りに動いたことを意味する。しかし設計は、「DX」が忘れがちな人々を捕捉するように作られているか。計画は機能した。しかし状況はどうだったか。システムは動いた。誰が動かし続けたのか。
能登の災害関連死364人は数字だ。しかしその一人一人は、どの計画にも収まりきらない状況的な現実の中にいた。
防災庁が2026年11月に発足する。AI等デジタル技術の活用が課題として明示されている[23]。新しい城塞が建てられる。問うべきことは、その城塞が誰のために設計されているかだ。
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[1] 内閣府「令和7年版防災白書」特集第1章第1節、2025年、https://www.bousai.go.jp/kaigirep/hakusho/r07/honbun/t1_1s_01_00.html(2025年5月13日時点)
[2] デジタル庁「行政の防災DXはどう進むのか」取材記事(ケータイWatch、2024年11月)、https://k-tai.watch.impress.co.jp/docs/news/1637993.html
[3] 臼田裕一郎「防災DX 能登半島地震で見えた課題と教訓」(日刊工業新聞社制作、タキゲン製造株式会社「タキレポ」掲載、2025年4月7日)、https://www.takigen.report/serialization/pick-up-news/post_37456/
[4] 防災科学技術研究所・臼田裕一郎「防災DXの現状と課題〜令和6年能登半島地震でのISUT/BDX活動を踏まえ〜」内閣府提出資料、https://www.bousai.go.jp/jishin/syuto/taisaku_wg_02/4/pdf/siryo3.pdf
[5] 石川県「令和6年能登半島地震 被災者データベース構築に関するプレスリリース」2024年2月19日
[6] 総務省情報通信政策研究所「東日本大震災を契機とした情報行動の変化に関する調査研究」2012年、https://www.soumu.go.jp/iicp/chousakenkyu/data/research/survey/telecom/2012/megaquake311-a.pdf
および民放online「データが語る放送のはなし㉜ 大震災とメディア~この100年で変わったこと、変わらないこと~」https://minpo.online/article/100-1.html
[7] 内閣府「防災基本計画」(令和元年5月修正)、https://www.bousai.go.jp/taisaku/keikaku/kihon.html
[8] 内閣府「平成25年版経済白書」第3章第3節「社会インフラの供給基盤」、https://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je13/h03_03.html
[9] 小池淳司(神戸大学大学院工学研究科教授)「過去に例がない規模の道路陥没、インフラ投資を怠ったツケ」JBpress、2024年1月12日、https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/78885 および「能登半島地震、過疎地のインフラ復旧を経済合理性だけで議論してはいけない」JBpress、2024年1月17日、https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/78950
[10] 石川県「創造的復興プラン(骨子)」2024年3月28日。日経クロステック報道(2024年4月3日)https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/02706/040100077/ による。
[11] 三菱総合研究所「能登半島地震の教訓をどう生かすか」2024年4月、https://www.mri.co.jp/knowledge/opinion/2024/202404_1.html
[12] Kenneth Hewitt (1983). "The idea of calamity in a technocratic age." In K. Hewitt (ed.), Interpretations of Calamity from the Viewpoint of Human Ecology. Allen and Unwin, Boston, pp. 3–32.
[13] シャノン・マターン著、依田光江訳『スマートシティはなぜ失敗するのか——都市の人類学』早川書房、2024年。原著:Shannon Mattern (2021). A City Is Not a Computer: Other Urban Intelligences. Princeton University Press.
[14] JUIDA(2024年10月7日)「能登豪雨災害に対する支援活動のご報告」https://uas-japan.org/information/information-33765/
[15] Lucy A. Suchman 著、佐伯胖監訳『プランと状況的行為——人間‐機械コミュニケーションの可能性』産業図書、1999年。改訂版:Human-Machine Reconfigurations: Plans and Situated Actions (2007), Cambridge University Press.
[16] 日経クロステック「能登半島地震から半年、被災市町の今に見るデジタルと地域社会が抱える3つの課題」2024年8月、https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00257/00053/
[17] 総務省「令和6年版 情報通信白書」第Ⅰ部第2章第1節「震災関連情報の収集と発信」、2024年、https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r06/pdf/n1210000.pdf
[18] 富士キメラ総研「防災情報システム・サービス市場調査」(2025年度市場規模予測)
[19] 国立研究開発法人防災科学技術研究所「令和6年能登半島地震を対象とした自治体の災害対応および応援受援活動の全国調査の実施」2024年8月29日、https://www.bosai.go.jp/info/press/2024/20240829.html
[20] デジタル庁「デジタル社会の実現に向けた重点計画(2024年6月21日閣議決定)防災DX概要」、https://www.digital.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/f7339476-4afc-42d8-a574-a06bb8843fb5/25c49571/20250620_policies_disaster-prevention_outline_03.pdf
[21] Erik Stolterman, Anna Croon Fors (2004). "Information Technology and the Good Life." In Proceedings of the IFIP 8.2 Conference on Information Systems Research, pp. 687–692.
[22] 前掲・臼田裕一郎、防災科研提出資料
[23] 内閣官房「防災庁設置法案・関連法案改正案の閣議決定」2026年3月6日
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