自然言語にさよならを言って


AIに話しかけるように書いてしまうことが増えた。あのリズムに感染する。極めて無粋な、ダメ押しのリズム。このままだと自然言語はどうなるのだろうか?
AIが企業の業務を動かすには、まず、その企業の中に何が存在し、それぞれがどう関係し、何を操作できるのかを知る必要がある。たとえば、ある注文がどの顧客のもので、どの倉庫から出荷され、誰が配送先の変更を承認できるのか。人間なら業務の経験から理解できることも、AIにはあらかじめ教えなければならない。
こうした対象や関係、操作を一つのモデルとして定義する仕組みを、情報技術の分野では「オントロジー」と呼ぶ。米国のデータ分析企業パランティア・テクノロジーズの主任アーキテクト、アクシェイ・クリシュナスワミは、自社のオントロジーを文法にたとえて説明している。データの要素は企業にとっての名詞であり、アクションは動詞にあたる。人間とAIが推論しながら名詞と動詞を組み合わせ、一つの完全な文を作るのだ[1]。
そのようにして構成された文は、業務システムに書き戻され、倉庫の処理手順を更新し、生産計画を組み替え、配送経路を変更する[1]。
パランティアの公式ドキュメントでは、オントロジーは組織の運用層と位置づけられている。社内に散らばるデータや分析モデルを、工場の設備や製品といった物理的な資産、顧客の注文や金融取引といった概念など、現実世界の対応物に結びつける。多くの場合、組織のデジタルツインになるとも説明されている[2]。
オントロジーという語は、哲学においては「存在論」と訳されてきた。何が存在するのかを問うという概念だったものが、いまではAIに何を認識させ、何を実行させるかを決める技術にもなっている。
身近なネット通販を例に考えてみよう。
インターネットで本を注文したとする。通販会社のデータベースには、注文番号や購入者のID、発送予定日などが記録される。ただし、それぞれのデータが何を意味し、どう関係しているのかを、AIがそのまま理解できるとは限らない。
そこでオントロジーを使い、「注文した人」「購入した本」「発送する倉庫」といった対象を定義する。さらに、「この本はこの人が注文した」「この倉庫から発送される」という関係や、「配送先を変更する」「発送を延期する」といった操作も定めておく。こうしておけば、AIは単に注文データを検索するだけでなく、たとえば「引っ越したので本の届け先を変えたい」という依頼に対して、どの注文を変更すればよいか、変更が可能か、どの操作を実行すればよいかを判断するための情報を得られる。
つまりオントロジーのような記述方法は、データの集まりを、AIが「何が存在し、どうつながり、何ができるのか」を扱えるモデルに変える仕組みだ。

革新的な仕組みのように思えるが、何を一つの「もの」として扱い、どう区別するかを、誰の認識に基づいて決めるのかという問題がある。
たとえば、通販サイトを作るとき、開発者はデータベースの都合で「注文」と「配送」を別々の情報として管理するかもしれない。しかし、利用者にとっては、注文した商品がいつ届くかまでが「買い物」だ。システム内部の分類をそのまま画面に持ち込めば、利用者にはわかりにくいものになってしまう。
だからこそ、システムを設計するときには、データがどう保存されているかだけでなく、人が現実の世界をどう捉え、どのように行動しているかを考える必要がある。パランティアのオントロジーを解説した開発者向けの記事でも、元のデータベースの構造をそのまま再現するのではなく、現実の業務に即してモデル化することが重視されている[3]。
当然ながら、こうした仕組みには批判的な声もある。データアナリティクス・戦略の専門家であるドナルド・ファーマーは、組織全体を網羅するオントロジーの構築と維持には重い負担がかかり、それがパランティアの事業モデルがコンサルティングに大きく頼っている理由の一つだと指摘する。業務が変われば、オントロジーはすぐに古くなる。そして不完全なオントロジーは、単に現実から遅れているだけでなく、誤っている、とファーマーは書く。 ファーマーが関わった南アフリカの保険会社では、業務のやり方が変わるたびに、オントロジーの記述が実態と合わなくなった。会社はそこで規則を作った。データの中で何を「もの」として扱うか、それらをどうつなぐかを変えたいときは、誰であっても先に中央の管理台帳(リポジトリ)へ登録しなければならない。業務を変えるには、先に記述を変える必要が生まれた。ファーマーはこれを、オントロジーが事業を動かしている状態、英語の慣用句でいえば「尻尾が犬を振っている」状態だと評している[4]。
存在論的な記述方法
AIを意図通りに動かすために何が「もの」であるかを定義する。こうした言葉の使用方法が普及していくと、文字通り私たちの「存在論」にも影響を及ぼすのではないか。最近、そんなふうに考えるようになった。
米移民・関税執行局(ICE)は2025年4月半ば、パランティアと約3,000万ドルで移民管理システム「ImmigrationOS」の試作契約を結んだ[5]。契約文書によれば、これは移民の特定から退去までの全工程を扱い、自主的な出国を「ほぼリアルタイム」で把握するシステムだと説明されている[6]。 同年9月25日には、ライセンス更新と保守を含む継続支援として約2,990万ドルの発注が行われ[7]、2026年1月には、退去対象の候補を地図上に表示し、住所の確度をスコア化する別ツールについての報道もあった(パランティア側はこの報道に反論している)[8]。公開資料からはImmigrationOSの内部で具体的にどのようなオブジェクトや操作が定義されているのかは確認できない。
「分類が人を形づくる」という議論自体は、以前からなされてきた。 科学技術社会論の研究者ジェフリー・C・ボウカーとスーザン・リー・スターは1999年の共著で、国際疾病分類やアパルトヘイト下の人種分類を取り上げ、あらゆる標準化や区分は特定の視点に価値を付与し、別の視点を不可視化すると論じた[9]。また、技術哲学者のイアン・ハッキングは、人が分類されることでその人自身が変化し、その変化がまた分類のあり方を変えていくという循環を「ループ効果」と呼んでいる[10]。
さて、オントロジーは分類より一歩先まで書き込むと私は思う。何を一件と数え、何と何をつなぐかを決める点では、分類もオントロジーも変わらない。パランティアの公式ドキュメントでは、オブジェクト型は現実の実体や出来事の定義で、リンク型は二つのオブジェクト型のあいだの関係の定義だ。そこにアクション型、つまりオブジェクトや属性やリンクに加えてよい変更の定義が加わる[11]。ユーザーが画面やAPIからオブジェクトを編集するときは、このアクションを使う[12]。
スタンフォード大学知識システム研究所のトム・グルーバーは1993年、情報科学のオントロジーを「概念化の明示的な仕様」と定義した。ある分野に何があり、どう関係しているかという見方を、曖昧さなく書き出したもの、という意味だ。グルーバーがオントロジーを作る目的として挙げたのは、複数のプログラムのあいだで知識をやりとりできるようにすることだった。プログラムがその語彙を一貫したやり方で使う約束を、グルーバーは「コミット」と呼んだ[13]。
人間に向けて書く
これまでの自然言語は、多くの場合、「人間」に向けて書かれ、話されてきた。自分自身に向けて言葉を用いる場合も含めて。しかし、機械が読むことを前提としたとき、一意の識別子や明示的な定義、厳密に決められた操作が不可欠になる。結果として、人間の言葉は「機械に読める形」に合わせて変容していく。「事実は個別に存在する」「解釈には諸説ある」という立場は、致命的なエラーを招きうる。ソースが不正確な状態で、それを参照したシステムのふるまいによって、多くの「無関係な命」が奪われたという事件はすでに起きている。
もちろん、世界を管理者に読める形へと作り替える試みは、戸籍や国勢調査のように古くから存在した。 違うのは、想定される読者だ。
パランティアのCTO(最高技術責任者)シャム・サンカーは、オントロジーがあるから、自社のAIプラットフォームは能力を広げ続ける言語モデルを取り込める、と説明している[14]。この説明に従えば、オントロジーの読者には、まだ存在しない、いまより強いモデルも含まれる。どこまで読める形に整えればモデルにとって十分なのかは見えない。
存在論と書くこと
オントロジーは、哲学では「存在論」と訳される。何が存在するのか、そもそも「存在する」とはどういうことなのかを考える分野だ。
分野そのものは古代ギリシャまでさかのぼるが、「オントロジー」という単語は古代にはなかった。「存在するもの」を意味するギリシャ語「オン」と、「説明」や「学」を意味する「ロゴス」を組み合わせた、17世紀初めの造語だ。印刷物に初めて現れたのは、ドイツ出身の学者ヤーコプ・ローハルトが1606年に出した本だと考えられている[15]。
存在についてわかろうとすることは、世界をどんなふうに言葉で表すかという問題とも結びついている。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、『カテゴリー論』で、ものごとを表す言葉を10種類に整理した。たとえば「人間」はそれが何であるか、「白い」はどんな性質を持つか、「二倍」は他のものとどういう関係にあるか。このほかにも、量、場所、時間、位置、所有、能動、受動といった区分がある[16]。
つまり、世界に何が存在するのかを考えるために、まず、それらをどのような言葉で捉え、区別できるのかを整理しようとした。
20世紀になると、米国の哲学者クワインは、別の角度からこの問題を考えた。1948年の論文で彼が示したのは、ある理論が何の存在を前提にしているかは、その理論の書き方からわかるという考え方だ。
たとえば、「すべての注文には購入者がいる」という説明は、「注文」だけでなく「購入者」の存在も前提にしている。クワインは、こうして理論を成り立たせるために存在を認めなければならないものを、その理論が引き受けている存在だと考えた。「存在するとは変数の値であることだ(To be is to be the value of a variable)」という彼の有名な言葉は、この考えを論理学の言葉で表したものだ。何を存在するものとして扱うかは、世界をどのような枠組みで記述するかによって変わりうる[17]。
この考え方は、AIの設計にも受け継がれている。先に紹介したトム・グルーバーは、AIがあらかじめ定義された対象や関係の意味に矛盾しないように振る舞うことを、オントロジーへの「コミット」と呼んだ。クワインが、理論は何の存在を前提としているのかを問うたのに対し、グルーバーは、AIがどのような定義に従って情報を扱うのかを問題にした[13]。
ところで、書くことへの警戒は、古代ギリシャの時代から存在していた。
プラトンの『パイドロス』には、ソクラテスが語るエジプトの神話が登場する。文字を発明した神テウトは、それを人間の記憶力と知恵を高める薬として、王タムスに献上した。
しかし、タムスは文字の発明を喜ばなかった。文字に頼るようになれば、人間は自分で物事を覚えなくなってしまう。文字は記憶そのものを強くするのではなく、忘れたことを外から思い出す手がかりを与えるにすぎない。タムスはそう考えた。また、技術の発明者が、その技術の良し悪しまで正しく判断できるとは限らないとも指摘した。
ソクラテスはさらに、書かれた言葉を絵にたとえる。絵に描かれた人物に話しかけても返事がないように、文章も質問に答えたり、誤解を訂正したりすることができない。書き手がその場にいなければ、言葉だけが残される[18]。
フランスの哲学者ジャック・デリダは、1968年の論考「プラトンのパルマケイアー」で、この神話に登場する「薬」という言葉に注目した。ギリシャ語の「パルマコン」には、薬だけでなく毒という意味もある。文字は記憶を助ける一方で、記憶する力を衰えさせるかもしれない。
デリダはさらに、プラトンが、生きた人間の声による対話を重視する一方、書かれた言葉を、話し手から切り離されたものとして扱っていることを指摘した。そこには、話し言葉を生命や魂に、文字を死や身体に結びつける考え方がある[19]。
実装言語としての自然言語
実行されないコードは以前からあったのだろうか。
自然言語はAIの登場によって初めて「世界を実行する」コードになったのか?
英国の哲学者J・L・オースティンは1955年の講義で、「約束する」「命名する」といった、言うこと自体が行為の遂行になる発話を取り上げた[20]。また、カリフォルニア大学の哲学者ジョン・サールは1995年の著書で、お金や結婚といった社会制度は「XはCという文脈においてYとみなされる」という構成的規則に基づく人間の合意によって事実になると論じ、この移行は言語なしには起こり得ないと考えた[21]。
法律、契約、遺言、命令書、儀式の式文。 社会のさまざまな領域において、自然言語はもともと実装の一部を担っていた。しかし、それを「実行」してきたのはあくまで人間と制度だった。人間という実行系は、文脈に応じて読み替えたり、迷ったり、時には命令を拒んだりする。オースティンも、言葉を発するだけで行為が成立するわけではなく、状況が適切であることや、本人や他の人の行為が必要とされる場合が多いと書いている[20]。
いま変わりつつあるのは、言葉を実行する側だ。 パランティアのシステムでは、人間とAIが決めた操作が、倉庫管理や生産計画といった業務システムや、現場の機器に書き戻される。標準の設定では、AIは操作を下書きするだけで、実行するかどうかは人間が最終確認して決める。ただし導入した企業は、使い込まれて信頼できると判断した処理について、人間の確認なしで実行まで任せることもできる[1]。 これまで、書かれた命令は人間の手を通って初めて実行されていた。いまは、名詞と動詞で組み立てた文から機械の動作まで、人間の確認を挟まずにつなぐことができる。
書く体、この体で書くこと
自然言語がAIに向けて書かれるものになるとき、人間の認識はどう変わるのだろう。 米国の研究者ウォルター・J・オングは1982年の『声の文化と文字の文化』において、「書くことは意識を再構造化する」と指摘している。オングにとって文字は単なる外部の補助装置ではなく、使う人の意識の内側を組み替える技術だった[22]。
私はこれを、もう一つの側面から考えてみたい。 文芸や日記において、書くことは思考の営みであると同時に「身体運動」でもある。書くときの身振り。書く体になること。それから、自分に向けて書くことについても、もう少し掘り下げておきたい。自分の中にいる他者に、呼びかけてみることについても。
フランスの哲学者ミシェル・フーコーは、論考「自己の書法」(1983年)で、古代の人々が自分自身を鍛えるために、どのように書くことを利用していたのかを考察した。たとえば、古代ローマでは「ヒュポムネーマタ」と呼ばれる備忘録が使われていた。人々は本で読んだ言葉や、誰かから聞いた教えなどを書き留め、それを繰り返し読み返した。目的は単に情報を保存することではない。書き留めた言葉を自分の考えや行動に取り込み、自分自身を形づくることにあった。フーコーはまた、修道者たちの書く実践にも注目している。自分の行動や考えを文章にすることは、誰かに見られているかのように自分を振り返る機会になり、孤独の中でも仲間がいるような働きをしたという[23]。
プラトンの『パイドロス』でタムス王は、文字は記憶を助けるのではなく、思い出すための手がかりにすぎないと批判した。しかし、フーコーが取り上げた人々にとって、書くことは単なる記憶の補助ではなかった。外に書き出した言葉を読み返すことで、自分自身の考え方や生き方を変えていたのだ。
英国の作家ヴァージニア・ウルフもまた、このテーマについて別々の文章を残している。 まず「書く体」について。1919年4月20日の日記でウルフは、自分だけに向けて書く習慣は良い練習になると記し、「靭帯をほぐす(It loosens the ligaments)」と表現している。ペンをインクに浸すわずかな時間を除いて、立ち止まらずに言葉を書きつけていく。限られた時間に、思いつくまま書くことが、仕事として文章を書く際にも役立ったという[24]。
次に「自分の中の他者」について。1931年の講演でウルフは、書こうとすると現れる「家庭の天使」を殺したと語った。「家庭の天使」とは、女性は献身的で、他人に気を配り、自分の意見を強く主張するべきではないという、当時の理想的な女性像だ。ウルフはその声を振り払うことができたが、自分の身体や欲望について率直に書くという問題は解決できなかった。何かを書こうとするたびに、男性たちからどう思われるかを意識し、自分で筆を止めてしまうからだ[25]。
さらにウルフは、書くことを、自分の経験を理解し直すための行為とも考えていた。1939年に書き始めた「過去のスケッチ」で、自分は日常において突然強い衝撃を受けることがあり、その衝撃を受け取る能力こそが自分を作家にしていると振り返っている。何かに深く心を動かされると、その経験を説明したいという欲求が生まれる。そして言葉にすることで、ばらばらだった経験が一つのまとまりを持ち、自分を傷つける力を失っていくのだという[26]。
どの文字で、誰に向けて書くのか
もう少しだけ、人間が書く行為について触れておきたい。
フランスの作家エレーヌ・シクスーは、1975年の論考で、女性は自分自身の身体や欲望について、自らの言葉で書くべきだと訴えた。女性は長いあいだ、自分の身体からも、書くという行為からも遠ざけられてきた。だからこそ、書くことを自分たちの手に取り戻さなければならない、と[27]。
米国のチカーナ作家グロリア・アンサルドゥーアも、自分の身体や経験を出発点に書くことを呼びかけた。また、書くことを通じて、自分と同じように周縁化されてきた他の書き手たちとつながろうとした[28]。
哲学者ポール・B・プレシアドは、『テスト・ジャンキー』で、236日と236夜にわたるテストステロンの自己投与の記録と、身体や性をめぐる理論を交互に綴った。そしてこの本を、自ら「身体のエッセイ」と呼んでいる[29]。
次に「自分に向けて書くこと」について。
米国の詩人オードリー・ロードは、詩とは「名のないものに名を与え、それを考えられるようにする方法」だと書いた[30]。まだうまく言葉にできない感情や経験も、書くことによって初めて、自分が何を感じ、何を考えていたのかを理解できるようになる。
平安時代の『蜻蛉日記』にも、書くことを通じて自分の人生を見つめ直す姿がある。平安時代の女性史を専門とする歴史学者、服藤早苗によれば、作者の藤原道綱母は、夫との関係が実質的な離婚に至ったころに日記を書き始めた。自分の境遇を嘆きながら、それまでの半生を振り返ることに救いを見いだしたのだという[31]。ただし、『蜻蛉日記』は他人に読まれることも想定した作品だ[32]。自分のために書くことと、誰かに読ませるために書くことは、必ずしも分けられない。
そして「自分の中の他者」について。
グロリア・アンサルドゥーアは、書こうとするたびに「田舎の貧しいチカーナである自分が、書けるなどと思うのか」と問いかける内なる声に出会うと記している[28]。これは、ウルフが書くことを妨げる存在として描いた「家庭の天使」とよく似ている。社会から向けられてきた偏見や期待が、自分自身の声となって、書くことをためらわせるのだ。
水俣で育った作家、石牟礼道子は、『苦海浄土』を「誰よりも自分自身に語り聞かせる、浄瑠璃のごときもの」と表現した[33]。水俣病の患者たちの声や経験を綴りながら、その言葉は自分自身にも向けられていた。ウルフやアンサルドゥーアの場合とは異なり、ここでの他者の声は、書くことを妨げるものではない。他者の経験を引き受け、自分自身に語り聞かせることが、書くことにつながっている。
ところで、誰に向けて書くのかという問題には、何語で、どの文字を使って書くのかという問題も深く関わっている。
平安時代の『土佐日記』は、「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり」という有名な一文で始まる。当時、男性の官人が記す日記は、基本的に漢文で書かれていた[34]。しかし、作者の紀貫之は女性の立場を借り、当時女性が使うものとされていた仮名で日記を書いた。漢文ではなく仮名を選ぶことで、官人としての立場を離れ、自分の感情や経験を自由に表現できるようになったと考えられている[35]。
一方、アルジェリアの作家アシア・ジェバールにとって、自分を書くための言語は、かつて祖国を支配したフランスの言葉だった。ジェバールは1985年の『L'Amour, la fantasia』で、フランス語だけを使って自伝を書くことを、皮膚の下を暴く解剖の刃に身をさらすことにたとえた[36]。自分自身について語るために使う言葉が、同時に、自分たちを支配してきた人々の言葉でもある。ジェバールにとってフランス語で書くことは、自分を覆い隠すことでありながら、その覆いを剥ぎ取ることでもあった[37]。
機械と人間に同時に宛てた詩
ここまで、AIに向けて書くことと、自分に向けて書くことを分けて考えてきた。しかし、機械と人間の両方に同時に宛てた文章は、少なくとも1990年にはすでに存在していた。
1990年4月1日、インターネット上の掲示板システムUsenetに、プログラミング言語Perlの開発者ラリー・ウォールの名前で、ある記事が投稿された。技術的な表現と感情的な表現を両立させる場として、プログラムのコードで書く詩を提案するものだった。
そこで紹介されたのが、作者不詳の「Black Perl」だ。

Larry Wall名義「CALL FOR DISCUSSION: comp.lang.perl.poems」comp.lang.perl、1990年4月1日。