デザインの継ぎ目、継ぎ目のデザイン

デザインには必ず外部があるので、継ぎ目のないデザインはない。では、継ぎ目はどこに置くべきだろうか?
生成AIが環境化した今、シームフルデザインについて整理しておきたい。
システムに合わせて走り方を変える
英国のアーティスト集団ブラスト・セオリーが、ノッティンガム大学の研究室と組んで作った位置情報ゲームがある。タイトルは「Can You See Me Now?(いま私が見える?)」[1]。街を舞台にした鬼ごっこで、逃げるのはインターネット越しに参加するプレイヤー、追うのは実際の街を走るランナーだ。2001年にシェルフィールドで開催された大会では、二日間で214人が参加した。プレイヤーは街のマップ上でアバターを動かし、プロのパフォーマーが演じるランナーがそれを追う。ランナーの位置はGPSで測定され、プレイヤーの画面に表示される[2]。
GPSの推定誤差は平均12.4メートル。開けた場所では数メートル程度だったが、建物が密集する狭い通りでは大きくなった。一日目、ランナーはなかなかプレイヤーを捕まえられなかったが、二日目になると改善した。イベント後、ランナーの一人がスタッフの聞き取りにこう答えている。
ランナー:プレイヤーが捕まえにくい場所にいるとわかっていたら、ちょっと歩き回って、捕まえられる場所に向かうまで待つ。
スタッフ:待ち伏せ?
ランナー:そう、待ち伏せ。
スタッフ:捕まえやすい場所って?
ランナー:GPSの電波がしっかり届く広々とした場所。そういう場所なら、素早く位置情報が更新されるから、プレイヤーに向かって動くのに合わせて、自分の位置情報がリアルタイムで更新される。問題は、彼らに向かって走っている最中に、位置情報の更新が遅い場所に踏み込んでしまい、気づかないうちに追い抜いてしまうこと。これは本当にイラつく。プレイヤーを捕まえるのと同じくらい、GPSの状況を気にかけなければならない。Runner: If they're in a place that I know it's really hard to catch them, I walk around a little bit a wait till they're heading somewhere where I can catch them.
Crew: Ambush?
Runner: Yeah, ambush.
Crew: What defines a good place to catch them?
Runner: A big open space, with good GPS coverage, where you can get quick updates because then every move you make is updated when you’re heading towards them; one of the problems is if you’re running towards them and you’re in a place where it slowly updates, you jump past them, and that’s really frustrating. So you’ve got to worry about the GPS as much as catching them.
ランナーは二日間ほとんど走りっぱなしで、無線で互いに話し、どの通りで誤差が大きいかを覚えていった。誤差の分布を把握し、それに合わせて自分たちの走り方を変えた。
美しい継ぎ目
計算機科学者マーク・ワイザーはテクノロジーが透明になる瞬間について説明している[3]。
「見えない」技術は、作業の邪魔をしない。良い鉛筆が、書くことの邪魔をしないように。(中略)悪い技術は、作業ではなくそれ自体に注目させる。折れた、かすれた、先の丸まった鉛筆のように。
"invisible" technology stays out of the way of the task / like a good pencil stays out of the way of the writing (...) bad technology draws attention to itself, not the task / like a broken, or skipping, or dull pencil
書いているとき、鉛筆のことは考えない。芯が折れたとき、はじめて手元の鉛筆を見る。ワイザーは、コンピュータもまた鉛筆のように透明な道具であるべきだと考えていた。人の意識から消えること。
ワイザーは同時に、「誤解を招く二つの概念」について説明している。
一つめが「シームレス」だ。
シームレスとは、あちこち移動したときに一度もそれに気づかないような構造のことだろうか?
すべてを同じにするのは簡単だ。難しいのは、それぞれが、他のものと一緒にありながら、それ自身であることだ。
目指すのは、シームフルなシステム、美しい継ぎ目をもつシステム。Seamless is a seamless building one in which you never notice as you move from place to place?
making everything the same is easy; hard is letting everything be itself, with other things
goal: seamful systems, with beautiful seams
固有性を保ちながら共存できる、そうした環境を実現するための設計思想には、シームフルな視点が含まれていたほうがいい。
二つ目は「インターフェース」。
インターフェースとは、境界面、差異、変換を意味する
しかし、設計する際のユニットは「面」ではない。その環境の中にいる人々とデバイスとをひとまとめにしたものであるべきだ
「インターフェース」という言葉を使うと、問題が単なる境界面に矮小化されてしまう
(しかし、これより適切な言葉はないので、私も「ユーザーインターフェース」と言う)
Interface implies boundary, difference, transduction
but the unit of design should be social people, in theirenvironment, plus your device
talking "interface" trivializes the problem to the boundary
(but there is no better word, so I too say "user interface"
画面の手前と向こうを分ける「境界面」だけをイメージしてしまうと、誰がどこで何に失敗するのかに気づくことができなくなる。
ワイザーの設計思想をまとめる。
道具は、使用しているときは人々の意識から消えていなければならない。少なくとも「使っているとき」は透明であるべきた。しかし、全てを均質に覆ってしまうと固有性が失われてしまう。だから目指すのは「シームフルなデザイン」であり、美しい継ぎ目は設計の要件に含まれる。そして、継ぎ目という外部性を設計に組み込むためには、「インターフェース」を面的に捉える視点が邪魔になる。デバイスだけではなく、関係性や環境を含み込んだ総体を設計の対象とする必要がある。
インフラはインターフェース
ワイザーは1999年4月に逝去した。その4年後、グラスゴー大学の計算機科学者マシュー・チャーマーズが、シームフルという語をもう一度俎上に載せた[4]。ユビキタスコンピューティングの分野では「ほぼ忘却された概念」になっていた、とチャーマーズは記している[5]。
彼らがシームフルに着目したのは、自分たちのシステムがうまく動かなかったからだ。
チャーマーズらは、グラスゴーの展示施設で、三人が一緒に展示を見て回るシステムを試していた。一人は実際の展示室を、PDA(携帯情報端末)を持って歩く。一人は別室でウェブ版の展示を見る。もう一人は3DのVR版の展示室を歩く。三人はヘッドセットでつながり、画面上のマップにはお互いの居場所が表示される[2]。
三人の「現在地」は、それぞれ別のやり方で測定された。VR版のプレイヤーの位置は、動かしている分身の座標そのものだ。ウェブ版のプレイヤーの位置は、地図をクリックした場所が「現在地」になる。実際の展示室を歩くプレイヤーの位置は、超音波で計測した。
ただし超音波の計測方法には環境面や設置方法での問題があり、最大で2メートルの誤差が発生した。
画面上では、三人は同じかたちの点として表示された。座標そのものである誤差のない二点と、誤差を含んだ推定値の一点。これら三つの点が同じ意匠で表現された。チャーマーズらは後にこれを「過度にシームレス」だったと振り返っている。標準をつくり、それに合わせすぎてしまった。展示室を歩くプレイヤーは推定値なので、点ではなく、広がりや確率の分布として表示すべきだった、と[2]。
別の論文で、チャーマーズはこう書いた。
システム設計者にとっての「インフラ」が、ユーザーにとっては「インターフェース」でありうる。
what is 'infrastructure' to system designers may be 'interface' to users
ユーザーやプレイヤーは設計者がどこに線を引いたのかを知らない。たとえば、人々は、スマートフォンの電波が入りにくい場所を、スマートフォンを使っているうちに把握していく。電話を待っているときはその場所を避けるようになる。設計者にとって通信環境はインフラだが、ユーザーにとっては「繋がるかどうか」はインターフェースに含まれている。
先ほど紹介した展示室の場合も同様だ。超音波の計測器をどのように設置するかは作り手の都合によって決定される。室内を歩いている人はそれを知らない。にもかかわらず、マップ上で自分の「現在地」がずれていれば、対策を編み出していく。
誰が継ぎ目を経験するのか
継ぎ目は異なるシステムが重なり合う場所に出現する。
プリンストン大学の社会学者ジャネット・ヴェルテシは、各国の宇宙機関が支える二つの無人探査機チームを、六年にわたって調査した。その論文に、ある写真を掲載している[6]。
この写真が撮られた場所は、スペインにあるNASAの地上局だ。遠くを飛ぶ探査機から届く信号を、6基の大きなアンテナで受信している。局には専用の発電機があり、ヨーロッパ規格である240ボルトの電圧を米国の110ボルトに落として使用している。したがってスペインにあるこの建物の壁面には、米国式のコンセントしか設置されていない[6]。
写真に写っているのは、机と壁のあいだに押し込まれた一台のコンピュータだ。米国政府の備品であることを示すステッカーが貼られ、米国式のコンセントにつながっている。その近くに、ヨーロッパ式の電圧変換器が置かれている。ここで働くスペイン人の職員が、自分たちのデバイスを充電したり、現地規格の照明器具に電力を供給するために設置したものだ。建物は米国の規格で揃えてあるが、職員の持ち物はスペインの規格だ[6]。
ヴェルテシは、この絡まったコードに継ぎ目を見る。異なる仕組みのあいだをやりくりするために、現場でなされた工夫の跡。この局では、米国式の電圧とスペインの規格は、どちらかが優位とも言えない。「継ぎ目」がそこにあると示すことはできるが、一方がどこで終わってもう一方がどこで始まるのかをはっきり示すことはできない。入り組んでいる。この痕跡を「境界」や「翻訳」という言葉で説明すると、実際には明確に分けることができないものを、分かれているかのように描写してしまうことになる。ヴェルテシはさらに、スペインの土地を米国の土地のように扱うという両国の取り決めも、この写真のなかにに見ることができると指摘している[6]。
ヴェルテシは、継ぎ目という言葉を、ワイザーやチャーマーズらのユビキタスコンピューティングの研究から借用した。そのうえで、この言葉を、現場の人々の営みを観察するために用いた。複数の仕組みが重なり合う場所で、人々は専用のパーツを組み立てて安定した全体を作っているわけではない。手元にあるもので、その場の用が足りるだけの、長くはもたない噛み合わせを作っている。継ぎ目とは、その噛み合わせが作られたり、外れたりする場所のことだ[6]。
人々は複数の仕組みが重なり合う場所で身動きが取れなくなっているわけではない、とヴェルテシは指摘する。継ぎ目のある場所で、手際よく立ち回っているのだ、と。噛み合わせが外れたときにも、その場所が手がかりになる。そのとき誰が置き去りにされ、誰がつなぎ直す仕事を引き受けているのかが見えてくるからだ。ヴェルテシが見た現場では、修復を担っていたのは多くの場合、秘書や女性のエンジニアだったという[6]。
米国の社会学者スーザン・リー・スターは、1999年の論文で、車椅子を使う人にとって建物の前にある階段や戸口の段差は、「土台」ではなく「障壁」になると書いた[7]。ワシントン大学の研究者らは2019年の論文で、こうした例を改めてとりあげ、シームレスかシームフルかは、誰がそれを使うかという関係のなかで決まる、と整理した[8]。
時間経過で出現する継ぎ目
継ぎ目は使う人に左右される。そして時間の影響も受ける。
継ぎ目のない、完璧に見えるデザインでも、百年後にはひび割れて見えるかもしれない。
物理的に劣化せず、当時とまったく同じ姿で残っていたとしても、周囲の価値観は変容している。百年前は誰も継ぎ目だと思わなかったところに、人々は継ぎ目を見るのかもしれない。
フランスの哲学者アンリ・ベルクソンは『物質と記憶』で、再認、つまり目の前のものを、以前から知っているものとして知覚する働きについて、二つに分けて整理した[8]。
一つは自動的な再認だ。身体は慣れた動作ですぐに目の前のものに応じることができる。ドアノブが目に入る。考える前に手が動いてドアノブを回し、身体は屋内に移動する。ドアノブそのものを注意深く眺めることはない。ベルクソンの言い方では、運動は知覚から役に立つ結果を引き出そうとして、私たちを対象から遠ざけていく[8]。書いているあいだ鉛筆が見えないのも同じで、手はもう次の字を書きはじめている。
もう一つは注意的な再認だ。対象のほうへ引き返し、その輪郭をもう一度なぞる。ふと足を止め、ドアノブをじっと見つめる。そこへ、過去の記憶が流れ込んでくる[8]。
注意的再認とは、まがうことなき一つの回路であり、そこにおいて外的対象はそれ自身のいっそう深い部分を明らかにしていくが、それはわれわれの記憶力が対象の反対側にあって、緊張を高めながら、そのさまざまな記憶を対象に向けて投射するのに応じてのことである。
何かが目に入る。それに似た過去の記憶が呼び出される。記憶を手がかりにもう一度見ると、さっきは見えなかった細部が見えてくる[8]。
ならば、「継ぎ目」は知覚の形に応じて出現する、ということもできよう。
芯が折れた鉛筆が目に入る。そのとき、私たちの身体は自動的な再認から注意的な再認へと移行している。何が見えるかは、見る人が持ち込む記憶で変わる。百年後の人が百年前のデザインに継ぎ目を見るのは、作られた当時の人々とは異なる記憶を、投射するからだ。
時間、空間、そして「私」の範囲に応じて、設計されたものはシームレスにもシームフルにもなる。
シームフルデザインの研究は、場所や技術の差異だけを問題としてきた、という指摘もある。空間における通信電波の濃淡や、ファイル形式の相違といった規格の問題、あるいはユーザーが画面上の情報と紙に書かれた情報のあいだを行き来すること。経験は常に時間の中に埋め込まれているけれど、時間経過と継ぎ目についてはあまり議論されてこなかったという[9]。
シームレスとシームフルが対立する概念ではないことも、すでに指摘されている。チャーマーズらは2003年に、どちらかが常に正しいわけではなく、状況に応じて使い分けるものだと書いた[2]。二つは互いを補うものだ、という観点もある[9]。私自身の解釈で語るならば、こういう説明になる。同一のデザインが、ある「ものさし」ではシームレスになり、別の「ものさし」ではシームフルになる。
意識の及ばない領域で処理される
ジョージア工科大学のAI研究者が、自分が書いた論文をChatGPTに要約させてみた。
生成された要約は筋が通っていたが、元の論文にはない枠組みを捏造していた。「社会」と「技術」の二つだった部分に、「文化」が追加されていた。この三つめはいかにもありそうで、書いた本人でさえ最初は見落としかけたという[10]。
この研修者が気づくことができたのは、自分で書いた論文の記憶を、要約に重ねて読むことができたからだ。
私はこの原稿をClaudeやGeemini、Chat GPTと「共に」書いている。LLMに依頼している主な業務は関連文献の整理と脚注の付き合わせだ。しかし、全体の流れに詰まった際は相談相手にもなってもらう。「どちらの引用がわかりやすいか」と尋ねることもある。
Claudeは私にとり、道具であることもあるし、動的なエディタであることもあり、リサーチャーでもある。そして、どれほどハーネスで管理しても、Claudeがリサーチやサポートから執筆の領域へとはみ出してくるのを制御しきることはできない。知らないうちに書き換えられていても気付くことが難しいので、常に原稿の差分を取る必要がある。
意識の及ばない領域で処理されているために事実上目に見えないものと、私たちの代わりに(例えばシステムエージェントによって)管理されているものとの間には、根本的な違いがある。
The difference between something being effectively invisible because it is being processed below conscious thought and something being managed for us (e.g., by a computerized agent) is profound.
書いているときに鉛筆が見えなくなるのは、手が鉛筆に慣れたからだ。Claudeが原稿のどこを書き換えたかが見えないのは、Claudeが私の代わりに無許可で書き換えたからだ。アルゴリズムが背後で処理する作業は、人が身につけた無意識の技能とは別物だという指摘は示唆に富む[9]。
継ぎ目を書きとめる
先ほど紹介した、ジョージア工科大学の研究者らによる、別の論文(2024年)がある。銀行の融資審査を扱ったものだ。
ある銀行では、融資の申請をAIの審査ソフトが事前に判定し、担当者がその判定結果を見て最終的な判断をする。ソフトはどの項目が判定に影響したかを説明するが、説明されない部分で判定と現実がずれることがある。研究チームは、このずれをAIの継ぎ目と呼んだ。
AIの文脈において、私たちは「継ぎ目(seems)」を、AIシステムの設計・開発時に立てられた仮定と、それを導入する実際の環境との間に発生する不一致や亀裂である、と定義する。
In the context of AI, we conceptualize seams as mismatches and cracks between assumptions made in designing and developing AI systems and the reality of their deployment contexts.
研究チームは、運用前に「ずれ」を洗い出す手順を模索した。何がうまくいかなくなりそうかを考え、その原因を「作ったときはこう考えていた、実際にはこうなる」という様式で書き出し、担当者が知っておくべきものを選んで、判定と一緒に表示するカードに載せる[13]。

研究チームが参加者と作成したホワイトボード。左から、何がうまくいかなくなりそうかを書き出し、その原因になるずれを「作ったときはこう考えていた、実際にはこうなる」の形で書き、担当者に見せるものを選んでカードに載せる。
出典:Upol Ehsan et al., "Seamful XAI: Operationalizing Seamful Design in Explainable AI," 2024, Fig. 2
書き出されたある「ずれ」は以下のようなものだった。
判定ソフトの開発者は、銀行の融資基準は普遍のものであると考えている。また、変更があった場合はすぐにソフトに反映できると認識している。しかし実際には、規制上の理由でモデルはすぐには更新できない。中央銀行が金利を変えれば現実の基準は変更されるが、ソフトは追いつかない[13]。
この研究チームはワークショップで発見した「継ぎ目」を文章として整理し、担当者が見ることのできる小さなカードにまとめた[13]。
AIの継ぎ目と時間
生成AIはシームレスだ。チャット画面で、ターミナルで、エディタで、異なる領域の業務を処理させることができる。
チャーマーズらによれば、ワイザーはPARCにいた頃、ペイントツールとテキストエディタをシームレスにつなぐと、片方が主になって、もう片方がそれに合わせて削られてしまう、と不満を漏らしていたという。ワイザーが望んだのは、筆で書いた文字をエディタで検索して置き換え、その上からまた絵の具を塗れるような、どちらの道具もそれ自身のままで繋がることができるあり方だった[2]。
生成AIはシームフルだ。生成AIが出力する文章や画像は、蓋然性の集合体だ。生成物は、そのデータが集められた時代の、平均的な好みを反映する。時間経過によって継ぎ目が出現する。
AIの時代の継ぎ目のデザインは、どこに置くかという空間的な問題ではなく、いつ、どう見せるかという時間の問題が主軸になるのかもしれない。「私の代わりにシステムエージェントによって処理された」ものを、どのようにして、過去に遡って確認するのか。その設計思想。
空港のゲート
カナダのメディア理論家サラ・シャルマは、2014年の著書『In the Meantime(それまでの間)』で、空港を、時間の格差が可視化される場所として書いた。空港では、待っている人、働いている人、眠っている人、急いでいる人が、バラバラな時間のなかにいる。旅人の多くは保安検査をさっと通り抜ける。移民やビザで入国する人は、社会的な地位と出身国の事情を確認され、その内容によって入国審査で待たされる時間時間が伸び縮みする[13]。
出張の多いビジネス旅行者の時間は、ラウンジやホテル、時差ぼけを緩和する商品やサービスによって守られている。その仕組みは「時間を繋ぎ止める」ために働く人々に支えられている。深夜の運転手、夜勤の受付、暗い時間の掃除担当者。出張する人々の働き方は、ほかの人々の時間を組み替えている。そして、「世界は加速している」という信念が、この仕組みを支え、同時に不可視化する[14]。
ヴェルテシが研究した探査機チームの施設で、外れた噛み合わせをつなぎ直していた人の多くは、秘書か女性のエンジニアだった[6]。シームレスな体験を目指すと、システムを動かしているデータの整備や保守の労働が見えなくなる、という指摘がある[10]。後から呼び出せる履歴にも、そうした人々の労働は残されていないことがある。
誰かの継ぎ目のない時間は、ほかの誰かの時間で縫い合わされている。
AI研究者らは、シームフルデザインを推進する人々に向けて、こう問いかけている。継ぎ目に目を配り、使う人に合わせてつくりこむデザインから、より多くの恩恵を受けるのは誰か? そうしたデザインが大学の研究室を出て、規模や利益を優先するフェーズに入ったとき、どうなるのか[9]。
どこに継ぎ目を設置するかを決めることは、誰のために、何を暴露するのかを決定することなのかもしれない。
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脚注
[1]Blast Theory, "Can You See Me Now?" https://www.blasttheory.co.uk/projects/can-you-see-me-now/
[2]Matthew Chalmers and Ian MacColl, "Seamful and Seamless Design in Ubiquitous Computing," 2003. https://nearfield.elasticspace.com/var/uploads/ChalmersTech2003.pdf
[3]Mark Weiser, "Building Invisible Interfaces," UIST '94, 1994. https://jesperbalslev.dk/wp-content/uploads/2019/03/UIST94_4up.pdf
[4]Salon, "Xerox PARC loses a “ubiquitous computing” guru," 1999. https://www.salon.com/1999/05/03/weiser/
[5]Matthew Chalmers, "Seamful Design and Ubicomp Infrastructure," 2003. https://www.dcs.gla.ac.uk/~matthew/papers/ubicomp2003HCISystems.pdf
[6]Janet Vertesi, "Seamful Spaces: Heterogeneous Infrastructures in Interaction," Science, Technology, & Human Values 39(2), 2014. https://doi.org/10.1177/0162243913516012
[7]Susan Leigh Star, "The Ethnography of Infrastructure," American Behavioral Scientist 43(3), 1999.
[8]アンリ・ベルクソン,『物質と記憶』,杉山直樹訳,講談社学術文庫,2019.
[9]Sarah Inman and David Ribes, "“Beautiful Seams”: Strategic Revelations and Concealments," CHI '19, 2019. https://doi.org/10.1145/3290605.3300508
[10]Upol Ehsan and Mark O. Riedl, "Explainable AI Reloaded: Challenging the XAI Status Quo in the Era of Large Language Models," HTTF '24, 2024. https://arxiv.org/abs/2408.05345
[11]Inman and Ribes, 2019 より引用。典拠は More Than Screen Deep, National Academies Press, 1997.
[12]Upol Ehsan, Q. Vera Liao, Samir Passi, Mark O. Riedl, and Hal Daumé III, "Seamful XAI: Operationalizing Seamful Design in Explainable AI," Proceedings of the ACM on Human-Computer Interaction 8(CSCW1), 2024. https://doi.org/10.1145/3637396
[13]Sarah Sharma, In the Meantime: Temporality and Cultural Politics, Duke University Press, 2014.
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