LLMで自分の文体を壊したい(最近の執筆の話)

先日、東京大学に新しくできるアルスノーヴァというアートスクールのプレイベントで、ささやかな自作品を展示した。『あなたがぬすむ物語』という、万引き専用の小説だ。説明すると長くなるが、この小説の全文は万引きすることでしか読むことができない。売ることもプレゼントすることもできない。
冊子の中には、盗むことと書くことの意味を重ね合わせた作品がいくつか収録されている。以前、別のイベントのために書いたものを、今回のイベントに合わせて改訂した。一部を抜粋する。





盗むという行為を「取引が壊れた瞬間」だと捉えるならば、そこに現れるのはある種の接触になるだろう。
そんなことを考えながら書いた小品だ。『盗まれたI(アイ)』は、『The Stolen I』という掌編を先に英語で書き、それを日本語に翻訳した。表現がぎこちなくて音の並びが洗練されていないのは私の語学力の限界だ。その言語をよしとしない人が書いた作品を、盗みを可視化する装置として使ってみたかったので、こうした。
『The Stolen I』はそもそも、作品全体を通してヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』を、複数の位相でパクることによって書かれたものだ。オマージュ、と言い換えることもできる。
自分の文体を壊したい
私の興味は、うまくできないこと、食い違うこと、手順が壊れることのほうに向かっている。最も壊したいのはやはり自分の文体で、それは、重くなってゆく自我のシステムを破壊して延命したい、という願いにも通じている。
そのような興味から、少し前に、「書いている端からテキストが壊れていくエディタ」というのを作ってみたのだが、UXとしてはわりと最悪だった。


ある料理家のご家族にインタビューをした際、こういう話を聞いたことがある。「あの人は私が料理をしていると、我慢ができなくなって、手を出してくるんです。例えばニンジンを切っていたら、あなた遅いわね、と言って、同じニンジンを、反対側の端から切り始めてしまう」。聞いた当時は、笑ってしまった。
「壊れていくエディタ」のUXは同じような感覚かもしれない。書いていると、テキストが、反対の端から切り刻まれていく。すべてのテキストは書きかけであり、同時に書き終わってもいるのだけれど、「さすがに今じゃないでしょう」というタイミングで介入されるのは、不快で、愉快だった。
「AIくさい文章」という感覚
テクストがまとうAI臭に我慢がならない、と訴える人が増えた。
生成文からAIらしさを脱臭するためのスキルも配布され始めた。抽象的な観念を操作しがちなこと、警句のような言い回しを多用すること、直前の文字列に引っ張られることなど、特徴を見ていくと、人間の書く文章にもよく見られる癖が多い。にもかかわらず「わたしたち人間の書く文章とは違う」と多くの人が感じる状況というのは面白い。
AIが再生するジャーゴンへの食傷は、作為の強さに由来しているようにも見える。「AI(人工知能)への嫌悪感」というよりは、「Artificial(人工)への嫌悪感」だ。人間が、なにかをつくるときに陥ってしまう、ある種のモード。こう読ませてやろう、上手いこと言ってやろう、という操作性。嫌悪感はそこへ向いている。意図があることへの倦怠。
仮想空間での経験を記述させる
経験のみから立ち上がるテクストをLLMに書かせることができれば、作為の匂いは弱まるだろうか。試しに、読んでみたい小説の設定を実装し、そこでのシミュレーション結果を日記で報告させることにした。
まず、空間や時間を定義する。

定義した世界観に従って、シミュレーションできる環境を用意する。

Claude Codeが粛々と進めてくれる。

「文学的なテキスト」を生成しないよう、禁止事項も書き込んでおく。
